美術館での「カパカパひらく」場所。それが高校生ウィーク。

話し手:きむらとしろうじんじんさん(アーティスト/陶芸家)

自分で色付けした、焼きたてのお茶碗でお茶をいただく、陶芸+お抹茶屋台「野点(のだて)」。きむらとしろうじんじんさんは、日本全国のさまざまな場所で、「野点」を展開しているアーティストです。水戸でも何度か「野点」を展開し、2008年には、さまざまな人々がオリジナル屋台で街へくりだす「妄想屋台祭り」を実施しました。

そんなきむらとしろうじんじんさんは、高校生ウィークを「カパカパひらく」場所だといいます。ふたつの違う世界のあいだにある、「カパカパひらく」場所。そういう場所には、どんな可能性があるのでしょうか。


 はじめて高校生ウィークを知ったのはいつですか。

「高校生ウィーク」っていうのを、ちゃんと意識したのは、水戸芸に来るようになって2回目のときかな。そのときは「ゆうかりカフェ(高校生ウィーク、2004年)」で、お裁縫のコーナーがあって…って感じでしたね。

 高校生ウィークでプログラムを実施することになったきっかけや経緯を教えてください。

2回目の「野点」をやった頃(2005年)から、森山さんたちが「高校生ウィーク」っていうのを始めてて、僕がそのあと、年に1回くらい水戸に遊びにくるとき、高校生ウィークをやってることが多かったんですよね。「オープンまであと数日!!」みたいな時期で、みんながワークショップ・ルームの仕込みをしてるところを見ることが、2~3回あったんだと思うんですよ。

そのあと、2008年の秋に「野点」を「妄想屋台祭り」っていうのとあわせて実施することになるんですが、その前年の2007年に、(仙台の南にある)仙南で「野点」をやった帰りに、高校生ウィークをやってる水戸に寄ったんです。

そのときに、森(司・東京アートポイント計画ディレクター/元水戸芸術館現代美術センター学芸員)さんと森山(純子・水戸芸術館現代美術センター教育プログラムコーディネーター)さんに「野点」やらへん?って声かけられて。

で、高校生ウィークとガッチョリ組んでやりたいって、まず、森山さんに伝えたんですよね。
なんでそんな発想が浮かんだのかというと、前年や前々年に高校生ウィークの姿を見ていて・・・何か気になっていたんでしょうね。

 

「高校生」というフレームが、野点をすると解体されていく

 高知で高校生と一緒におこなった「野点」の体験も大きかったのでしょうか。

やっぱり、それなんですかね。

2004年に、高知で、オール高校生による企画で「野点」をやったんですよ。
それまでも、現地でスタッフを募集する形態での「野点」は(各地で)はじまってたんだけれども、まだ「高校生」と呼ばれる人たちが、がっちりお客さんを迎える側、サーブする側に回るっていうのはそんなに多くなかったんですよね。でも、高知県で、高校生の子らと一緒にサーブする側に回ってみて、まあ、単純に「全然いけるやん」、と。

「野点」やってるときは常にそうなんやけど、“高校生”やったら“高校生”、“水戸市民”だったら“水戸市民”、“被災地”やったら“被災地”っていうフレームみたいなものが、「野点」の現場をやりながら解体されていく、個別の関係性に変化していく・・・っていうことに、だんだん目覚めてきた時期だったんですよね。

で、“高校生”についても、それまで高校生でいけるかな?いけへんかな?・・・って迷っていたんだけれども、ちゃんと一緒に組んで「野点」やってみたら、“高校生”っていうフレームが、なくなっていった。個別の付き合いができて、しかも一緒にサーブする側に回ってくれる…っていう確信を得はじめた時期だったんですね。

だから、水戸で3回目の「野点」をやるのであれば、もう高校生の子らとガッチョリ組んで、サーブする側にまわってほしい。で、あわよくば、その高校生の子らが、「野点」以外の方法で僕と一緒にまちに散らばってくような、まあ一言でいえば「一緒に屋台出しませんか?」「自分らで、まちに持ち出すものをつくって一緒に出ませんか」っていうふうにしたい(と、伝えた)。それはたぶん、こう自然な流れで、シューッと出てきたんやと思いますね。

自分が風景をどう見て、どう感じるか。
それが「屋台」であり「屋台的」だ。

 高校生ウィークで印象的だった人との出会いはありましたか?それはどんな人でしたか?

一番頭の中残ってるのは、小竹森(由香・family tree company/元水戸芸術館現代美術センタープロジェクトアシスタント)さん(笑)。小竹森さんとはその前の、はじめて「野点」やったときの現場でもお会いしてるんだけど、妙に、高校生ウィークの準備してるときの小竹森さんだけ、僕の中でちょっと違う小竹森さんなんですよね。いわゆる美術館の仕事をしているときとは全く違う顔で、「アタシも、ここに、己の欲望をのせるわ」と。

で、「願わくば、これから来る若い子らにも、そんな気分で一緒にカフェを作ってほしい。かくあれかし!!」みたいな。完成したカフェの様子というよりも、あの、己の「かくあれかし」をのっけるということに対する「気」みたいなものに…ああ、ええなぁと。

 いま、人との出会いについてお聞きしましたが、印象的なエピソードがあったら教えてください。

そうですね。市川(寛也・筑波大学大学院/2007年より「高校生アートライター」「書く。部」で参加)くんと水木しげる先生の話をしたのとかも印象に残ってるエピソードではありますね。

僕がいろんな土地の風景をみている目線を、少し別の角度で、「妖怪存在」という言葉で眺めてる人がいる…。っていうのを知ったのは、高校生ウィークだったので、それは印象に残ってますね。

 「妖怪存在」の話は各地で持ち出されているんですか?

市川くんのことは、いろんな土地で必ずしゃべってますね。ある土地の風景を見るということはそんなに一方向的なことではないぞ、ということとか。あと、「妄想屋台祭り」ほど大きい規模じゃなくても、「野点」となにか屋台を一緒に出す企画が最近増えてきてるんですよね。

でも、多くの人は「屋台」で何かやろうや、となると、いいコンテンツを開発せねばという発想になってしまうらしい。そういうときに、僕が一番よく持ち出す最良の例のひとつが、市川くんの「妖怪黒板屋台」。つまり、コンテンツ開発ではなく、自分がその風景をどう見て、どう感じるか。それそのものがもう「屋台」であり「屋台的」だということ。それを間にはさんで人とお茶飲めんねんで、と。

風景を眺める新しい視点がテーブルの上に乗っかっていれば、まちに出て、人と一緒にしゃべったりすることができるということの、最大の例のひとつですよね。市川くんのことは。

もう一方の極端な例は須藤(和也・テルミン奏者/2009年に「音部」で参加)さん。須藤さんの場合は、己の欲望がそのまま物体化してまちに飛出していったっていう例だと思うんですよね。市川くんと須藤さんの例を経験したことは、僕の「屋台」という考え方についての思考をすごく発展させた。

美術館が「カパッ!」てなったときに
来た人になにを見せんのや

 高校生ウィークはどのような場であると思いますか。

僕、きっとね。意外と、高校生ウィークにきてる高校生とは、ちゃんとは出会ってないんですよ。…で、何が言いたいかっていうと、それでいいんだろうなぁ、ってこと。“高校生”というフレームで、誰かとは会ってないんですよね。

つまり、”高校生”っていうフレームを、いい意味で言い訳にして、「カパカパひらく」場所がつくられているっていうのがミソだと思うんですよ。高校生と組んで「野点」やりたいっていうのが、いい意味でグズグズっと崩れてったのと一緒なんですよね。高校生ウィークは、“高校生”というフレームと出会わせようとしてる場ではないし、僕もそういう出会い方は結局しなかった。たぶん、それでいいんやろうな、と思います。

 高校生ウィークは今後、どのようになっていくと思いますか。

高校生ウィークは、水戸芸とセットじゃないですか。だから、美術館とセットの場所として考える必要がありますよね。

たとえば僕、他のところで、商店街の中にフリースペース設けてそこを高校生が「たまり場」みたいに使えるようにしよう、とか、そんな話をすることもあるんですよね。学校が違うとかそういうのを取り払って、みんなで集まってウジャウジャウジャやれるような場が、まちの中にひとつあったら、ちょっと人の流れ変わるよね、みたいな話をしたりすることもあるんです。だけど高校生ウィークの場合、それとは少し違うと思うんですよ。美術館があるから「カパカパしてる」のが似合うんですよね、きっと。

まあ強いていうなら、カパカパしたときに来た高校生が見て、「オモロい」と思えるような企画をせぇよ、お前ら、と、美術館の学芸員の人たちにプレッシャーをかけれるくらいの力関係になっていったら、ちょっとすごいですよね。美術館が「カパッ!」てなったときに来た人になにを見せんのや、と。そのとき見た人に、ちゃんと「ゴンッ!」ってくるもんやってないと、美術館としては、アカンのとちゃいますかー・・・みたいな。

美術館とセットとしての場だからこその意味は、そこにある。だから、展覧会に対して高校生が美術館の中で「つまらんのぉー!」って言ってていいわけですよね。「あー!もうなんやねん!」って。展覧会の帰りに喫茶店でするような話が出来る場所。美術館の中だけどめっちゃ外、でも中、でも……みたいな場所にもっとなっていったらええですね。「オモロい」と思えるときもあれば、「なんか今回は、いまひとつ、ピンときぃひんな」と思いながら、あそこで、別のことしてたり、ブツブツ言うてたりする状況があるっていうのが貴重なんでしょうね。


きむらとしろうじんじん

1967年新潟生まれ、京都在住。1995年から「野点(のだて)」を始める。現在も全国各地の路上・公園・空き地などで絶賛開催中。
水戸では2000年(がっちょり10回)、2005年(現場スタッフ公募)、2008年(妄想屋台祭り)に開催。

反訳・文章:石田喜美/編集:小森岳史・森山純子/写真:根本譲/写真提供:水戸芸術館現代美術センター
取材日:2013年2月15日 水戸芸術館にて