いろんな人と学び合いながら、自分たちなりのアートの意味をつくる場所

話し手 吉川久美子さん(東京大学大学院学際情報学府/NPO法人Educe Technologies事務局)

2009年から3年間、「ブカツ」に参加したり、カフェスタッフとして参加したりしながら、高校生ウィークの調査を行ってきた吉川久美子さん。はじめは、武蔵野美術大学の大学院生として修士論文の研究対象に高校生ウィークを選び、高校生たちを見つめてきた吉川さんですが、その後は東京大学大学院学際情報学府にすすみ、学びの場づくりの研究や実践に関わっています。吉川さんは、この場所で参加する高校生たちが学び合いながら、自分たちなりにアートの意味を作り出す姿に注目します。


美術館に一番来ないはずの中高生。
だけど、この場所には高校生たちがいる。

―― 高校生ウィークに関心を持ったきっかけ・経緯を教えてください。

はじめて高校生ウィークに来場したのは、2008年だったと思います。「宮島達男 Art in You」展のときに、「なんか、やってるな」と思ってふらっと寄ってみたんですよね。「カフェです」って書いてあったので、入っていいのかどうかがわからなかったんですけれど、「お茶どうですか?」ってスタッフの方に声をかけられて、お茶を出していただいたんです。最初ホントにどういう場かわからなかったんですが、高校生たちがスタッフとして活動していると聞いて、一気に興味がわいたのを覚えてます(笑)

武蔵野美術大学に通っていたときに、造形ワークショップを自分でやったり、お手伝いさせてもらったりする機会が何度かあったんですが、そのときに中学生や高校生と出会う機会がなかなかなかったんですよね。募集しても中高生はなかなか来なかったりして・・・こういう活動を通して出会える年齢層じゃないんだな、っていう思いがすごくあったんです。それで、「なんで出会えないんだろう?」って思っていたときに、水戸芸術館に来てみたら、高校生たちが、おもてなしをしてくれたので、「なんでこの子たちはここにいるんだろう?」「なにを魅力に思って、ここで活動してるのかな」と、率直な疑問がわきました。あと当時、美術館で中高生を対象とした教育普及活動に出会ったことがなかったので、その点でも興味を持ちましたね。

――  中高生という年代に関心を持っていたということでしょうか?

そうですね。美術館でアルバイトもしてたんですが、なかなか中高生を見かけることがなかったんです。大学の教職課程の授業で、描画発達段階とか、そういうものを勉強していくと「中学生の段階でつまずいて、だんだん美術から離れていく」ということを知りました。美術館の来館者に関する統計のデータを見ても、美術館に一番来ない層は中学生だったりする。そういう大学で勉強してたことと、実際自分で思ってたことのふたつが大きく膨らんで、中学生や高校生に興味を持ち始めていた時期ではありましたね。

―― 高校生ウィークに関わる中で、印象的だった人との出会いはありましたか。

カフェがあいてる時間に外に出たときに、裏から自転車でカフェスタッフの女の子が、すごいスピードで「シャッ!」って来たんですよ。で、その子に「今日、スタッフだったんだ」と話かけたら「いやもうホント、間に合ってよかったです!」みたいなかんじで・・・なんか、もうとにかく、終わって駆けつけている感じがすごかったんですよ。ホントに「まだ間に合うー!」みたいな感じで。時間もたぶん、5時半くらいだったかと思います。カフェが閉まるまで、たぶん1時間ないくらいの時間だったと思うんです。その姿を見て、私、すごいビックリしました。「あっ、そうまでしてここに来たいんだー」って。それで、ますます、「ここの場でなにが起きてるんだろう」って思いましたね(笑)・・・そんな話、まず聞いたことがない。放課後、高校生が自転車に乗って美術館に急いでくるとか、芸術館に急いでくるっていう現象を、私が関わっていた現場ではまず見たことがなかったので、本当にびっくりしました。

あと、カフェスタッフで入らせていただいたときに、OBの男の子と話をしてたことがあったんですが、その子が、「この時期は、ここに帰ってくる」「この時期には高校生ウィークがあるんで、まぁだいたいこのくらいには水戸にいます」みたいなことを、普通に話していて、スゴイなと思いました。なんかもう彼の帰省のスケジュールの中に、高校生ウィークも入っている。在学中だけじゃなくて、卒業してからも、そういうサイクルの中に高校生ウィークが入ってるんですよね。体内時計みたいになっちゃってる(笑)

アートよりも、高校生。
彼らの状況に応じて、プログラムが柔軟に変えられていく。

―― 高校生ウィークに関わる中で、印象に残ってるエピソードがあったら教えてください。

研究で森山(純子・水戸芸術館現代美術センター教育プログラムコーディネーター)さんにインタビューをさせていただいたときに、森山さんが美術の話を先にするんではなくって、まず高校生たちのことを気にかけてらっしゃるのが印象的でした。「アートじゃないんだー!」って。私もそうなんですけれど、プロジェクトをやってると、「美術を」「美術を」ってなりがちなんですよね・・・。でも森山さんは、「感受性が豊かな時期だからね」とか、「親御さんがあるから」「学校の先生がね」とか・・・高校生たちの、周りの状況を考えてお話しをしてくださっていて、私もそういうことを大事にしなきゃダメだなと思いました。

また、スタッフの皆さんが柔軟にプログラムを、変えているのがスゴイなと思いました。どうなるかわからないから、プログラムをカチッと決めてしまい、結果、なかなか壊すのが怖かったり、柔軟に動けなかったりすることって多いんですよね。だけど、ここでは「○○やってる時に高校生がこんな感じだったから、じゃあ次これやってみようか」と、プログラムを柔軟につくりかえている。そういう活動の設計の仕方ってあるんだなぁ、って思います。ずっとワークショップのファシリテーターをしてるような感じで、企画をつくられているのが、すごい。インタビューでその話を聞いたあと、「私も、ちゃんと、そこを気をつけなきゃなぁ」って反省しながら、帰ったのを覚えてます(笑)

いろんな人たちと学び合う場所。
いろんな価値観にもまれながら、自分なりの意味をつくりだしていく。

―― 高校生ウィークはどのような場であると思いますか?

参加者の高校生たちにアンケートに答えてもらったことがあったんです。そのときに、アンケートに回答してくれた高校生たちが、学校の「美術」でやる美術は「美術」で、芸術館は「アート」だ・・・っていう使い分けをしていて、それが興味深かった。

修論を書いているときは、美術館に来てアーティストたちとふれあっているので、リアルタイムの美術に触れる機会があるから、学校じゃ学べない美術を知ることができて、結果「アート」って言ってるのかな・・・くらいに思ってたんです。けれど、今、教育系の研究室に進学をして考えてみると、同世代の人たちや、アーティスト、学芸員のみなさんと、美術の意味を、みんなで話し合いながら、自分たちなりにつくれる場であるっていうのが、けっこう大きいのかなって思うようになりました。

造形ワークショップとか、鑑賞ワークショップとか、「美術とはこういうものだよ」っていうことを、体験的に学んでいくような場って、けっこう多くなったと思います。アーティストの追体験をしたりして、「美術とは何か」を知るところまではいくんですが、なかなか、自分なりのアートの意味まで考えるっていうところまでいかない。「自分にとってアートとか表現ってどういうものなんだろう?」って考えて、それを持ち帰れるところまでいけていない。でも、高校生ウィークに参加してる高校生たちは、みんな自分たちなりの、アートの意味を持ってる。それって、この1か月間、「ブカツ」とかに関わるなかで、いろんな人たちと学び合いながら、美術の意味をつくってるからだと思うんです。たぶん、高校生ウィークってそういう場なんだろうなーと思って、それはホントすごいなーと最近、あらためて思ったりします。

―― 高校生ウィークにはどのような意義があると思いますか?

いろんな人と出会って、考えたり表現してる中で、自分や、将来について考えたりする機会になっているのではないかと思います。アンケートで「学校外の友達ができたのがうれしい」「美術の友達ができたのがうれしい」っていう意見もあったんですが、そういうふうに、ふだん通う学校の世界じゃないところで、同世代や違う年齢の人たちとタテ・ヨコ・ナナメの関係をつくったりできる。あと、今まで職業体験では出会うことがなかったであろう、アーティストとも出会ったりして、いろんな価値観にもまれながら、自分たちの将来について考えるようになった、っていうことを言ってる子たちもいたんですよね。そういう意味では、自分の将来とかを悩んでる時期に、いろいろな価値観にもまれることのできる環境のひとつとして意義があるんじゃないか、って思います。


よしかわ くみこ
1986年東京都生まれ。2009年、武蔵野美術大学大学院造形研究科 美術専攻 芸術文化政策コース修了。現在、東京大学大学院学際情報学府・修士課程在籍、特定非営利活動法人 Educe Technologies事務局。中学生の表現活動に関心を持ち、支援方法の研究に取り組んでいる。

聞き手:石田喜美 反訳:石田喜美 文章:石田喜美 編集:小森岳史・森山純子 写真:高羽秀美 写真提供:水戸芸術館現代美術センター
取材日:2013年3月12日 水戸芸術館にて